大分港は、約400年前、時の領主大友宗麟が「ポルトガル」や「明」との交易を行う港として隆盛を極め、我が国でも有数の貿易港の一つでした。
フランシスコ・ザビエルが当地を訪れたのも、有名な話です。
その後時代の変遷とともに推移し、20世紀初頭からは近代港湾としての整備が行われ、定期航路の開設や鉄道の開通とあいまって、東九州の交通の要衝として発展してきました。
西暦1959年、大分鶴崎臨海工業地帯の建設計画に伴い、大分港は工業港湾として大きく変貌することになりましたが、特に西暦1964年、新産業都市の指定を受けて以来、急速に整備が行われてきました。
これまで I 期計画として、大野川以西地域の1〜5号地約1,000haにおいて工業用地を造成し、石油・石油化学・鉄鋼・電力等の基幹産業や各種企業が立地し、操業を行っています。
II 期計画の大野川以東地域においても6・7号地約500ha工業用地の建設の大半が終了し、既に一部立地企業は操業を開始しています。また、流通拠点港湾の中核となる大在地区公共埠頭の整備も着々と進んでいます。
このように、大分港は工業港としての地位をたかめながら、東九州における産業・経済・流通の拠点として、順調に成長しています。 |