鶴崎海陸運輸株式会社
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鶴崎踊り
当社の事業に大きく関わる大分港の沿革、あるいは地域活動の一環として、当社もその発展や保存のための取り組みに参加している文化・歴史を紹介します。
鶴崎踊り

永禄三年(1560年)の頃、豊後の国主“大友宗麟”が、一時酒色にふけり、政治をおろそかにした時、重臣“戸次鑑連”が、宗麟の気を和らげる為、京都から舞子を招いて踊らせ、正道に立ち戻らせたのが、「鶴崎踊り」の起源であるといわれています。

鶴崎は昔から芸能の盛んな港町であったため、この踊りも保存会により伝承され、特に大正十二年(1923年)、久邇宮良子女王殿下(前皇后陛下)が別府でご覧になって以来、全国的に有名な踊りとなりました。

例年、うら盆が近づき“本場鶴崎踊り大会”の前になると、鶴崎の人々の心は踊り一色となり、町は異様な熱気に包まれます。
町内会や各種団体、企業は、連日連夜、その年の踊りの出し物について、趣向を凝らした秘策を練り、当日に備えます。
以前は、各町内毎に開催されていましたが、現在ではうら盆過ぎの土・日曜日の二夜、大野川河畔に近い鶴崎公園(東鶴崎一丁目)を会場に、夏の夜空に響き渡るにぎやかで、しかも雅な音頭にあわせて、絢爛豪華な踊りを展開します。
「鶴崎踊り」は猿丸太夫”と“左衛門”から構成され、その華麗優雅な踊りは数万の観衆を魅了します。この“本場鶴崎踊り大会”こそは、鶴崎の夏の一大風物詩です。

この伝統ある鶴崎踊りに、当社も地元企業として、グループ企業とともに例年参加しています。
準備段階では、衣装の企画、そして作成から踊りの稽古まで、メンバーが一丸となって取り組み、ここ数年は、毎年入賞の栄に輝いています。


   
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